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《スタッフコラム No.24》アラスカの白い冬 Written by Tomoko

2024.01.26

実は私は一年だけアラスカに住んでいたことがあります。アンカレッジ郊外の小高い丘の上にある森に囲まれた小さな大学で英語の勉強をしていました。

初めての留学で、まだ言葉もあまり話せず、海外での暮らしにも慣れず、誰も知らない環境に一人で来たわけですが、大学の敷地内にある寮に住み、毎日キャンパスの森の中を歩いて授業に通う日々でした。小高いキャンパスからは遥か彼方にマッキンリー山が見渡せました。

私がアラスカにいたことがあると話すと、「なぜアラスカだったのですか」とよく聞かれますが、その頃の私には行きたい場所が三つありました。

①月

②南極

③アラスカ

この三つの中で現実的に一番行けそうだったのがアラスカだったのです。

そんな理由で来たアラスカでしたが、彼の地は私の期待を裏切りませんでした。私は決してアウトドア派を自認する方ではありませんが、アラスカの自然の大きさと美しさには心を掴まれました。空も大地もとにかく広いのです。

夏には木々が青々と茂り、空は高く、気温も肌に涼やかで、太陽は毎日23時頃まで沈みません。屋外でのアクティビティには最適な季節です。私も国立公園にハイキングや川下りをしに行ったり、船に乗って氷河やクジラを見に行ったりしました。

秋になると寒さが駆け足でやってきて日がどんどん短くなります。木々が燃えるような紅葉に彩られ、動物も人間も大急ぎで冬支度をします。

冬に入ると寒さも格別でしたが、一面雪に覆われたキャンパスの静けさと白さは心に沁み入るようでした。日本では雪に慣れていない私は、大量の雪が降った日には新しいフカフカの雪の上を歩き回ったり雪だるまを作ったりと夢中になって遊びました。

冬の間は雪も深く、気温も氷点下にまで下がるので、地上に出ずともキャンパスの建物間を行き来できるよう、大学の敷地の下には地下道が張り巡らされていました。地下道はコンクリート打ちっぱなしのトンネルのような空間ですが、天井が高くて圧迫感はなく、暖房も効いていました。地下には生徒が使えるフィットネスジムやロッククライミングの壁、洗濯室や自動販売機の部屋もありました。その薄暗い灯りがポツポツとともる地下道を歩いていると、まるで秘密基地の中にでも迷い込んだかのような気持ちになったものです。

アラスカでしか体験できなかったことのひとつがオーロラです。私が目撃できたのは一回だけだったのですが、ある寒い冬の夜中、オーロラが出たと寮仲間に叩き起こされ、慌ててコートを着て外に飛び出しました。見上げた真っ暗な空に揺れる緑色のカーテンのような光。これだけ鮮やかな色の光が空いっぱいに動いているのに、音が一切ともなわない静寂というのは不思議な感覚です。言葉もなく寒さも忘れて見上げていました。

アラスカでは日常的に動物と出会うことがありました。大学のキャンパスは森の中にあったので、そこで通学途中に大きなムース(ヘラジカ)に出くわしたことがあります。背の高さが人間位あり、ちょうど目が合うところにムースの顔があるのです。体重は雄雌にもよりますが数百キロにもなり、特に繁殖期や授乳期には刺激すると危ないと言われています。現地の人から聞いた話では、ムースの前足は「前にも曲がる」ので、出会い頭にびっくりすると「前に蹴られる」そうですが、真偽のほどは不明です。それを試す勇気もないので、ムースに会った私はそっと後ずさりして退散しました。

アラスカの人達は米国本土48州のことを「Lower 48」と呼びます。私からすると、アラスカだけ本土から離れた北の外れの1州みたいに見えますが、アラスカの人達からすると他の州の方が「下の方にある48州」なのです。開拓者精神に富む、独立独歩の志が強いお国柄ですが、厳しい自然環境の中、住人達は大らかで辛抱強くて世話好きな人達が多く、私もずいぶんと助けてもらいました。

その後、私は思いがけず米国で十五年を過ごすことになるのですが、その一年目がアラスカでよかったと思います。広々とした国土と自然の大きさ、人々の懐の深さ、米国での生活の仕方、英語の基礎、そのようなものを全部アラスカで教えてもらいました。

米国でも色々な地に住みましたが、アラスカは私の心の故郷であり続けました。今でもアラスカでの日々を思い出すと、厳寒の地だったのに私の心はホンワカと温かさで満たされるのです。

スタッフTomoko